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にっき

ようやくまともな彼氏ができて七転八倒。恋愛が感覚的によく分からない。

週の真ん中デートなんてこんなもんか

仕事帰りに食事。明日も仕事。

甘い雰囲気でイチャイチャ的なことはなかった…。

ただ、めっちゃ楽しく仲良くしゃべった。とにかく2人でいっぱい笑って楽しかった。

しかしこれが、女として見られるかという部分に関して不安。ぶっちゃけ超不安。

思い返すとこればかりは付き合い始めてからずっと不安だな。まぁ、これについては向こうにちゃんと聞いて「え、別になにが?」って気にしてない風な返答をいただいてるから…でも気ぃ使って言ってくれたんじゃねぇーの!?(´;ω;`)精神不安定

いわゆる「お前って友だちとしてしか見れないからーww」ってやつになってないか怖い。

こういう経験はどんな検索ワードを打ち込めば拾えるんだ?

[彼女 サバサバ]は、ちょっと違うんだ。私はハグもキスもセックスもさせない、したくないわけじゃないんだ。

[彼女 ドライ]も、自分発信で連絡をとらない件ばっか出てきて、それも該当しない。

 

でも、良かった面としては「この人、私の嫌がることは無理矢理しない人だ」っていう確信めいたものも感じたかな。

いきなり自分の欲求押し通そうとするようなこともなかった。

 

しかし、なんつーか本当に2人きりじゃないとイチャイチャしたくないから、はっきり言ってもうホテルにでも行きたいんだ(処女の言)。人目の方が気になるんだ…。

もう、公園で一生懸命暗がり探すよりホテルっつーか室内でまったりスキンシップしたいよ…外めっちゃ寒いし…。

 

ちなみに、私は処女だが初めてはラブホテルがいい派です。

「初めては旅行がいい!行為のためだけのラブホなんてナンセンス!」って記事見る度に「やめろおおおおお!!!」って叫んでる。

なにせ、旅行だとスッピンにならなきゃいけないじゃないですか。初めてぐらい顔面偏差値あんまり気にせず致したい。届いてブサイクの気持ち。

 

あと次のデートまでに日にちを開けすぎるのも考えもんね(´・ω・`)

今回1ヵ月以上ぶり?出張帰りの飼い主の顔を忘れるハムスターの気持ちが分かったわ。

正直、忘れる。正直どんな顔なのかもいまいち思い出せなくなる。

しゃべったときの感触も手のひらの大きさもいちいち「そういえばこんなだったなぁ」と確認する。

 

ていうか、なんで毎回デートが2週間ごとなんだ!?

お金が無いからか、本業が忙しいからか…?

お金だったら私がもっと金出すよって…。今度から断られてもこっちがもっと金出しちゃうべきか…??正直収入は私の方が余裕がry

 

まぁ、こういうのを擦り合わせていくのがコミュニケーションなんだよね…。うん。

【読書】コンビニ人間〜25歳処女の感想

 

 


コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

 

村田沙耶香のことは「朝井リョウ加藤千恵のANN」で知り、『殺人出産』を読んで好きだなぁ…とは思ってた。

 

今回一番気になった記述は、主人公が処女であることに関する言及全般。

自分は25歳処女という立場でこの作品を読んだ。

処女に関するコラムを読むと「大切にしすぎているから高齢処女なんだ」と書かれてることが多々あるが、私は本作の主人公と同様に自分の処女を大切にした覚えはない。

一目惚れをしない性質だからか、普通に生きてきたらこうなっただけだ。

一度、自宅に連れ込まれそうになったことがあるが、相手は父親と同い年の男性だったので普通に逃げた。ここで処女を捨てればよかった?うーん、どうしてもそうは思わない。そもそも当時、非処女だったとしてもセックスしたくない相手だったわけだし…。

彼氏は居たが、いずれも手を出される前に別れてしまった。

みんな所謂草食系だったわけだが、今思うと自分から動いてしまえばよかったんだろうな。でも当時の自分には無理だったな。

 

合コンに行っても、飲み会で話してても、ある程度の年齢になると非処女であること前提に話が進む。

これ本当になんでなんだ?って多くの女子が20代前半には彼氏ができてセックスするからなんだろうが…。

その時期がちょっとずれたり、来なかっただけでこうも仲間外れにされなきゃならないのか。すごく居辛い。

「処女を大切にしろ」「女の子だから自分の体は守れ」「男は狼」なんだかんだ言われてきたけど、結局大学後半くらいから逆に処女を公言しづらくなるじゃん!

 

ていうか、最近の男に狼は少ないから「上手に狩りができる女になりなさい」くらいの教訓がちょうどいいと思ったり…。

 「武将系女子が自分に合う男をゲットできる」と教えてくれた名著なので貼ります…。

 

私は、この主人公のように「35歳処女or童貞です」っていう人がいたら「そういうこともあるだろうよ」と思う。

でも、この主人公みたくフラットに物事を見られないから、白羽さんみたく周囲の目をすごく気にする。

白羽さんは自分の童貞がコンプレックスだから、主人公を「非処女の中古」と何度もなじるんだろうなぁ。

彼氏が気持ち悪い期

久しぶりに彼氏ができたが、やっぱりこの時期が来た。

なんとなく"彼氏が気持ち悪い期"だ。

彼氏のことを考えるとなんだか拒否反応が出てしまう。でも、「嫌い」「好きじゃない」ってわけじゃない。

「別れたい」っていうことでもない。

 

 今まではこの時期がくると本当に不愉快になってしまって、そのまま別れることもあった。

だが、今回は少し違う。今までと比べて拒否反応が小さめだ。

そこで、ひとつ気付いたことがある。

この拒否反応は、彼氏の実態が自分の中でよく分からなくなってくると出るのではないか?

私の場合、デートのあと数日後に発症(?)することが多くて、その後しばらくすると鳴りをひそめる。

もちろん、実際に会っている時は楽しいし、別れてすぐは愛しい気持ちが勝って「早く会えないかな」と思ったりする。

そして、彼氏の存在や感覚が完全に向こう側に行ってしまうと拒否感もなにもなくなる。

 

この<彼氏の存在を知覚してる>時と<彼氏の存在が知覚できない>の間、<彼氏の存在感が曖昧>な時に気持ち悪さを感じるのでは?

捉えきれない気持ち悪さというか。

彼氏という感覚を把握しきれない気持ち悪さ、だったのではないかと思い始めた。

 

 

 

ずっと心がしくじってる

 

オードリーがIKEAの椅子を壊した件について若林がANNでタイトルのように語っていた。

これ凄い自分にも当てはまるなって思った。
 
私ずっと「あの上司がいなければ私はうつ病になんてならずに済んだのに」ってどこかで思ってて。
でも、同時にそれは違うんじゃ?とも思ってた。
その謎がこの言葉で解けたような気がした。
 
冒頭リンク先の動画では、上記放送事故について、「しくじり」とは"事件が起きてしくじった"のではなく、ずっと心がしくじってて偶々そこで事件が起きて可視化するだけなんだよ。
…って具合に言っています。
それを聞いて、私もずっと心がしくじっててたまたまこのタイミングでうつ病になっただけなんだなって思った。
 
例えば、うつ病第二次回復期ぐらいの時に、社交ダンスのスタジオに向かうのにエレベーター乗ってたら、いつも習ってる先生とは別の先生に「毎週がんばってるね」って声かけていただいたことがある。
でも、そのとき私は「毎週2レッスン入れてもらってて進歩がなくてごめんなさい!!!」って本当に思った。さすがに口には出さなかったけど…。
その時ハッキリ自分おかしいぞ!?とも思った。
なんで心からストレートに「ありがとうございます!」って言えないんだろうって、自分で自分が心底不思議だった。
先生は私を褒めてるのも分かってる。
なんなら褒めて伸ばそうと思ってくれてるのも、応援してくれてるんだっていうのも分かってる。
分かった上でなんでそういう捩れたことを思うのか?
でも、私がこういう風に思うのって別にうつ病になってからじゃないの。
中学生くらいからずっとそうなの。
だから、ずっと心がしくじってんの。
そこに関しては上司関係ないの。
 
なんか凄いすーっとした。
よくうつ病になるのは、そもそもの性格にも原因があるとか、うつ病になりやすい性格チェックシートとかあるけど、結構そういうのって打撃が重い。
うつ病特有の「全部私が悪いんだ…」「すべてはクズな自分のせいだ…」っていう思考にこういう言葉はキツすぎる。
でも、「心がしくじってる」っていう言い方はすーっときて。
 
なんだろうね。うつ病は「しくじり」程度に捉えとくのが丁度いいのかもね。
うつ病を「この世の終わり」「人生の終わり」ぐらいに考えずにね。
 
うつ病は「しくじり」くらいのもんで、だからやり直せるし。
「性格が原因」とかまで言われたら絶望的になっちゃうでしょ。そんなわけないのに。
 
 
 

【読書】絡新婦の理

うつ病の真っ最中に本を読むといつもと違った観点の感想を抱いたりするので、ちょっと書いてみようかと思う。

 

※ネタバレ注意(犯人等の核心には触れません)


文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)

文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)

 

うつ病中に読書をするとどうしてもソレ関連の記述や描写に目が行ってしまう。

自分のEvernoteに残した読書メモを見返すと、追い詰められた美由紀について一行目に「うつ病じゃん」とあって笑った。

ちなみにこの「うつ病じゃん」は冷やかしでなく、「もうくるところまできちゃってんじゃん…」という心配の意である。

 


あの夜を境にして、自分を含めたこの世界全部が信じられなくなってしまっていたのだ。そう云う状態こそを呪いと呼ぶのかと、美由紀は今にして思う。

世界が歪んでなにもかも信じられなくなる感覚には非常に覚えがある。

この歪んだ視界から抜け出すのはとても骨が折れるもので、自分の世界の見方がおかしいのは分かるが、分かったところで抜け出せるものではないから困ってしまう。

 

美由紀はこの後、祖父の言葉をきっかけに少しずつ自分を取り戻していく。


――恐がンのはお前、自分だ。恐がってる者は、傍から見りゃ滑稽なだけだぞ。

まるで自分に言われているかのように思った。

無職の自分は世間の人々みんなに罵られるんじゃないか自分の職歴を見たらみんな石を投げてくるんじゃないか、と勝手に妄想して勝手に怯えていた。

でも、そんな自分を第三者の視点で見てみると確かに滑稽なだけだった。

というか、母親なんかはそんな私を見て「そんなわけないじゃーん」と実際のところ笑っていたな。 

 

そして、益や榎木津が学園に乗り込んでくることで美由紀の証言はようやっと認められ、美由紀の視界は開け、色付き、ようやくまともに思考が回っていく。

ここの移り変わりの描写がなんとも快感だ。

自分の考えがおかしいのは分かっている、分かっちゃいるけど絶望的な考えが頭を巡り続けてしまう。そんな状況からどうしたら抜け出せるだろう。抜け出せるとしたらどんな風だろう?と思うことはあっても、いつも上手くイメージすることはできなかった。

しかし、この小説はそれを見事に体感させてくれた。

 

別に、この小説を読んだからって実際に美由紀の如く即再起できるわけではないが、この小説を読むと歪んだ視界がピントの合った世界へと切り替わる瞬間を感じることができる。

そういうイメージを掴んでみたい、体感してみたい、という人にはこの小説はオススメだ。